蒼穹の叡智ーとある大学生の備忘録ー

旧帝落ち地方公立大学3年生。ある現象の背後に存在するものを見抜いて、言語化するブログ。

現代社会において知能の高さが評価される背景と能力評価の基準に多様性が求められる理由

現代の私たちが生きる社会において、「知能」と呼ばれるものが優れている人、即ち頭の良い人は高く評価される。

 

これは言い換えれば、現代の社会において優れているとみなされている能力が「知能」だということを意味する。

 

なぜ知能の高さが現代社会においてこれほどまで評価されているのかについては歴史的な発展に伴い、社会が求める能力に知能が大きく関わっていることが影響している。

人類は18世紀に産業革命と近代化を経験し、それ以後の社会では科学技術や産業、政治・経済・法律といった複雑な社会制度から日常生活に至るまであらゆる分野において、抽象的で目に見えない知識や概念を扱うための能力が要求されるようになった。

(複雑な法的手続き、資産管理など)

 

歴史的な過程の中で、抽象的概念を扱う能力が高い人ほど社会階層の上に行きやすくなっていく構造が形成されてきている。

見方を変えれば、抽象概念を扱う知的能力が低ければ高度で複雑化した社会に適応することが困難な社会になってきているということを意味する。

 

しかしながら、知能とは具体的にどのような能力かと言われると忽ち答えに窮してしまう。

現在、世界中で使用されており、我々にも馴染み深い知能を測る検査として、デビッド・ウェクスラーが改良を加えた知能検査がある。知能検査の結果は知能指数(IQ)として表され、得点の分布は平均値を100とした正規分布を描き、同一年齢集団内での相対的位置によってそれぞれの結果を比較することができる。

 

実際に個人の知的能力の相対的な水準を知るうえでIQはとても有用だと思われるが、ここでは他の用途についても検討していく。

 

教育現場においては、知能検査の結果は子どもの学習指導方針を考える上で指針となるのではないだろうか。

例えば、IQが高いのにもかかわらず、学業成績が振るわない子どもは、家庭の問題や友人関係、学習時間が取れない等の要因によってモチベーションが勉強に向かなくなっていることが推測される。こうした子どもの伸びしろは大きく、環境を整えたり、教え方の工夫をする事で成績が飛躍的に伸びていく可能性が高い。

 

その一方で、IQ自体はそれほど高くはないにも関わらず、学業成績がよい子どもは必要以上に無理を重ねて勉強についていこうとしており、精神的な負担に注意した対応が求められる。
 

どんな能力も社会的に認知されて初めて「能力」として定義されるが、公教育現場の価値基準においては明らかに「学力」が高く評価されている実情がある。

 

その一方で、社会的に認知されていない能力、即ち何らかの形式で測る基準とその方法を持たない才能や能力は、学校教育の場では認知されづらい。

 

しかしながら、実社会や世の中の仕事を遂行する上で要求される能力は学力という単一の能力では測り得ない。例えば、道路工事のような仕事で求められる能力は、知能検査やペーパーテストで測られるような様々な知識や抽象的な概念を扱う能力ではなく、肉体的に壮健であることや工作機械を器用に操る力、安全性への勘などといった能力である。こうした能力を総合的に表すための「一般道路工事能力」を測定するテストは私が聞き及ぶ限りおそらく社会に存在しない。

 

これらの事柄が意味することは即ち、道路工事全般をうまくやり遂げる能力を表す一般的な尺度が存在しないために、そうした能力は社会的な認知や評価を受けづらいということである。

 

以上のことからも、人間の優秀さをは単一の判断軸では測りきれないという帰結が導き出される。

 

 

また、ある研究結果からはIQに関しては70%以上、学力においては50~60%、遺伝の影響が関与していること分かってきている。

 

学力や知能に遺伝的な影響があるということは、同じような教育を受けたとしても、どの領域でどのレベルに行けるかどうかは、各人の遺伝的な素養によってある程度規定されているということになる。

 

生まれた時点で配られた、子ども自身にはどうすることもできない手札によって知的能力の大部分が決まってしまっているということは一部の有利な性質を持つ人間以外の大多数にとって聞こえのいい話ではない。

 

個人が自らの力を発揮して広く活躍しようと思えば、

 

個人が有する素質や才能、潜在能力を自ら/他者が見抜けるか否か、それらの能力を発揮できる機会と巡る逢えるか否か、が分水嶺となる。

 

才能の見抜き方に関しては、また別の記事で詳細を書こうと思うが、僕の考えでは概して

 

才能とは《自助努力の成果として獲得した知識や技術とは異なるもので“自分でも分からないけど、なぜだかできてしまう事”》

 

にその萌芽が見られる。

 

本来人間が有する才能や能力は多種多様であり、求められる能力は時代や地域、状況に応じて変化していく。

現代の知識社会において、一般知能の高い人間が高い社会階層へ進みやすいという側面があるのは事実であり、今後もその傾向が続いていくと思われるが、一方で様々な能力や才能を活かす機会や評価する基準軸が多様化すれば、今まで光があてられてこなかった人々に活躍の場が広がる事で人類の全体的な幸福度は向上するのではないかと個人的に思っている。

 

知識社会で活躍しよう

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