蒼穹の叡智ーとある大学生の備忘録ー

旧帝落ち地方公立大学3年生。ある現象の背後に存在するものを見抜いて、言語化するブログ。

障害者の歴史的な位置付けとは

障害者の歴史

 

 我々が障害者の歴史と聞くと、差別や迫害の対象となってきた凄惨な過去があったのだと往々にして思いがちである。

 とりわけ優生的な思想(人間の遺伝的素質を改善させ、優良とされる遺伝形質の増加を志向して、障害のような劣性とされる遺伝的形質を排除しようとする思想)が強く主張されてきた時代や地域においては「障害」とは忌むべき性質であったことは想像に難くない。

 さらには、第二次大戦中のナチスドイツによる障害者の大量抹殺や日本でも太平洋戦争中時には兵士として第一線で戦闘行為を行える力を持たない障害者は「国の役に立たない存在」「社会に不必要な存在」とみなされていたという歴史的事実があることは周知の事実である。

 

 確かにかつての障害者の中には健常者側の価値観の中で、社会から排除されることを余儀なくされ、隔離と抹殺の歴史の中で生きざるを得ない人々が存在したということは動かしえない事実なのだろう。

 しかしながら障害者関連の考古学資料や文献の中では、一部の障害者は朝廷の官位に準ずるほどの公に認められる権威を有する程の権力を有する者、楽器(三味線等)を演奏し物語を語りながら仏事や貴族の遊興の場で活躍するなど、自らの力量で社会的に認められてきたという歴史的な事実は一般的にあまり知られてはいない。

 

 時代や地域によっては「障害者」は忌み嫌われるどころか、むしろ尊重され、愛護すべき対象とみなされていたと思われるような事例も散見される。

 

 たとえ障害があったとしても、その集団の一員として十分に存在し得てきたという事実は障害者の歴史を語る上で、もっと語られるべきであると感じる。固定的で画一的な見方ではなく多様な解釈を可能とするためには、時代や地域を超えた知見を拡げることで物事を相対化できるようになるのだ。 

 

 勿論、過去に起きた事実を問題とし、そこに至るまでの経過や背景を時代性に基づいて認識することも重要であるが、大事なのはそれだけにとどまることなく現代に生きる私たちがそこから何を感じ取り、どう実践に反映させていくのかなのである。 

 

障害を取り巻く社会的要因 

 

 障害者はどの時代、どの地域においても一定の確率で必ず生まれてくる。これは抗いえない事実である。

 それ故に、障害者を受け入れる側の体制や条件、さらには彼らを支えようとする周囲の人々の絶えざる努力によって生活上の不利は十分に解消する努力を社会に課せられることは必然性を持つ。「障害者はつくりだされる」という言葉に示されるように、「障害者」という概念を規定する要因の多くは、その社会や人々の在り様によって決められるともいえるのではないだろうか。

 

 その上で、障害者福祉に影響を与えた思想を学ぶことで制度や政策ができた背景を知ることが可能となり、現在置かれている状況も推測することができると私は考える。ノーマライゼーション基本的人権は障害者福祉の思想的基盤として最重要なものであり、歴史的変遷の中で障害者が社会に適応し、様々な分野で能力を発揮するために国家や社会が果たすべき行動を要請し、その具体的権利を保障することにつながったものとして大きな影響を与えてきたといえる。

 

 障害はある特殊的な条件で発生するものではなく、誰もが人生において起こりうる普遍的なものであるとするならば、障害者が住みよい社会を志向することは私たち自身が快適で安心して暮らすことのできる社会を目指すことでもあるのだと思う。

 

障害とは何か: 戦力ならざる者の戦争と福祉

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