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旧帝落ち地方公立大生のブログ

地方公立大学2年。品格があって、奥深く、それでいて分かりやすい文章を目指して綴っていきます。ある事象の背後に存在する本質を的確に捉え言語化して表現したりします。

自分の将来をどのようにして決めていけば良いのか

学生時代においては誰しも将来自分がどんな職業につけば良いのだろうかと思案に暮れるのはきっと誰しもが経験のあることではないでしょうか。

自分のキャリアを考えていく過程において僕が重視している労働や職業に対する考えや視点に関してノート📔に書き記してあるものをプログに載せておきます。


まず個人的な属性に関して、

自分の能力・性能・才能
境遇・人生観・価値観
人間の在り方

といった資質の中で、どういった基準を重視するかの比率はその人の性向や人生経験、時代や社会の情勢・空気といった様々な要素が関係しているけれど、その中で「ぼんやりと見えてきたもの」から、“これが自分の進む道”だと思えるものを探ぐっていく過程がとても大切だと個人的に思っている。

一部の例外的な存在を除いて、大部分の人間は思考量・行動量の総和から得られる内省と純粋な経験体験を通して蓄積されたストックによって自分の手持ちのカードを切りながら人生を生き抜いていく。

僕は学生時代や若い時期というのは、基本的に
「積み上げていく人生観を持つべき」時期だと思っている。

《自分のスペックを上げる努力を惜しまないこと》
《視野を広げること》
これらを高めていく事が何よりも大切な事だと思う。

そもそも人の人生は有限だけど、全体を十分に活用すれば、偉大な事を成し遂げるに足る潤沢な時間が与えられている。生涯をかけてやりたい事がある人間はそういった意味で強い。

それに自分がどこに向かって進んでいるのかも分からないまま日々を過ごしていくことは、過ぎ去った過去に意味付けを行うのが難しくなる。


さてこれまで長々と人生や資本主義社会の労働について綴ってきたが、要するに僕が自分のキャリアを決めていく上でどういう視点で選んでいくべきだと思っているのかというと、究極的に

《プロフェッショナルとして生きていくか》

《代替可能な労働力として生きていくか》

の2択だと思っている。

常人の仕事というのは基本的に独自性が求められず、規格化・細分化された結果、マニュアル通り一定の手順を踏めば、業務遂行に要する基準に適合してさえいれば、

“自分ではない他の誰かによっても代替可能なもの”であるという事。

端的に表すと
《他者との交換可能性の有無》がプロフェッショナルかそうでないかを規定する重要な要因となります。


勿論、専門家・職業人という言葉に示されるようにプロフェッショナルの条件として、

【ある職業・任務を行うのに必要かつ相応しい条件を証明する“資格”といった社会的証明】

【ある特定の領域・分野に特化している】

【《自分の有するスキル・ナレッジ×顕在・潜在的なニーズ》=独自コンテンツ】

【どんな悪条件でもとにかく結果を出すことが求められ、結果を残せなければ自然淘汰されていく熾烈な環境】

【自らに課せられた要求・業務に対するスピードと正確性への的確な対応】

【自分が価値を提供できる存在であるか否か】

【マニュアル化できないハイレベルな仕事のステージ】

といった事柄が存在します。

《プロの世界は決して甘くない》
そこで熾烈な争いが絶えず行われているからこそ、第一線で闘う人間は磨かれていく。


“生活の為”といった、専ら物質的な報酬や安定性を確保することを目的とするのであれば、組織に献身する過程を通じた範囲内で与えられた業務をこなしていくような労働形態を選んだ方がいい場合もあれば、

個性の発揮や自己実現、職業的役割を全うし、それを遂行する事で他者や社会に広く貢献し、他者から認められ、自分の存在を評価されたいといった『己の中に物語性を見出したい』人にとっては各分野のエキスパートとして創造的な価値を提供したり、専門性を積み上げて他人に求められるような仕事を選んでいった方がいい事もあります。

(もちろん前者においても客観的、間接的には匿名の非特定多数の人々に相互依存関係を成立させ、社会の維持・発展に一定程度寄与しているが、独自性の発揮や自律性、仕事への誇りといった側面での差異は厳然として存在する)

究極的には、
『社会との接点をどう持つか』に帰結する問題であると言っても差し支えないのかもしれません。

何が良くて何が悪いかなんて決めきれないし、未来なんて誰にも分からないのだからこそ、僕らはその時々で絶えず最善解を模索し続けていくしかない。