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旧帝落ち地方公立大生のブログ

地方公立大学2年。人生の岐路に立たされた際に相談してもらえるような人間に。ある事象の背後に存在する本質を的確に捉え言語化して表現したりします。官僚or外資系コンサルor研究者への道。

現代における職業と社会的位置付けの関係性

現代社会においては封建時代にあった身分による職業の固定化が、近代市民革命を経て、私有財産制と共に職業選択の自由(憲法22条1項)が保障されるようになった結果、名目上は個人が自己の従事する職業を自由に決定する権利を保有しています。

〈職業に貴賎はない〉という言葉もありますが、理念上ではともかく、現実的には《職業が今日では財産や家柄に代わって階層を決定する重要な要因になっている》のは否定できない事実でしょう。

これは主として、〈職務的役割の遂行と引き換えに一定の給与に規定された生活水準や生活機会、社会的地位が付与され、それらに相まって社会的な評価が下される〉ことに起因します。職業=自己の存在証明と言っても過言ではない程、その重要性は大きなものだと思います。


そしてここからは労働をめぐって様々な社会問題が提起されていますが、そうした背景にある近代資本主義社会特有のシステムから職業の位置付けを考えていきましょう。

資本主義が高度に発達し、産業革命後の合理化・機械化・分業化の趨勢を受け社会的分業が成立している現代においては、《労働が全体としてのまとまりや精神的意味合いを喪失し単調化し人間疎外が深刻化している》といった批判は現代の労働問題を考える上で頻繁に目にする言説です。

この問題を考えるうえで、重要な視座として
《経営の本質とは利益を生み出すこと》に他ならないという事が挙げられると思います。

これを図式化すると【利益=収益ー費用】という形で表される為に、経営者にとって雇用労働者は費用の一部に過ぎない、すなわち会社に利益をもたらすことが第一義的となり、会社の歯車⚙を回す部品(代替可能な道具、駒)という事になります。歯車としての希少性によって組織内の自分のポジション(位置関係)が決定する。

〈組織は最終的には上層部が決定権を握っているため決して闘いを挑んではならない〉ということは心に留めおくべきでしょう。

変化の激しい現代においては、昨今で言うならば過労自殺、長期間労働、不払い賃金、派遣切りなどの一連の事件に代表されるように企業に隷属する雇われの身であれば、都合の良いようにスポイルされ不要になれば切り捨てられるといった事は往々にして有り得ます。

過酷な労働条件に見合わない安価な賃金で雇える若い労働力を現場で酷使し、収益を上げることが事業存続に必要なビジネスモデルとして常態化している。

経営者というのは重大な責任を背負って働いているのであり、成果を出さなくては全てが破産してしまう。資本主義という原理上、他の企業との競争に勝ち抜かなければ、最悪の場合には会社は倒産し従業員を路頭に迷わせてしまうことにもなる。ギリギリのラインで保たれている中で、悠長なことを言ってはいられない時代になっているということ。

(これは経営者の方のTweetなどを拝見する中で、こういった思想を持つ方は少数派ではなく、まして一個人が例外的に非情な性質を帯びているという訳でもなく、そうでもしなければ激しい競争を生き延びる事が出来ないという弱肉強食の資本主義というシステムそのものに端を発するものであると見たほうが良いと感じた)

基本的に《仕事とは職業に課された要求に応えること》です。上記で述べたように企業という性質上、利益を得ることを一義的に考えた上で《事業の効率化》という概念は極めて重要であり組織運営を行っていく際に絶対に外せない視点となります。

効率化を図ることを志向する中で、労働者には「淡々と与えられた業務をこなす」、すなわち組織内で各々が“自分に課せられた役割を全うする”ことが求められる。

分業化・細分化がなされ、単調な作業をひたすら処理する過程では、労働にやりがいや自己実現を求めることは困難であり、キャリア形成においても不利となり、給与面でも報われづらいのが現実です。


優勝劣敗の人間社会において、労使関係が対等であるべきだというのは理想に留まり、最初から社会がそういう仕組みで動いてると分かっているのであれば、そうした中で自分が生きやすい道を選択することが各人の生き方を考えていく上で重要な視点であると思います。


次に、現代の職業類型を主に7パターンに区分すると次のようになります。

専門・管理・事務・販売
熟練・半熟練・非熟練

上記の4つが俗に「ホワイトカラー(非肉体労働)」
下記の3つが「ブルーカラー(肉体労働)」と言われる職業です。

これらをより単純化すると、
【具体的な指示を出す人】
↕️
【指示を受けて作業を遂行する人】に類型化されます。


産業構造の変容に関して『ポスト工業化社会論』を唱えたアメリカの社会学者ダニエル・ベルのいうように

《脱工業化した社会のおいては、理論的・技術的な知識が中心的な意義を有し、それらを担う専門的・技術的階層に優位性がある》ことが、現実的に専門や管理を担当する職業に高い社会的評価が与えられ上層を形成し、一方で非熟練で単純な作業が課せられる職業は下位層に位置付けられることが多いことを示唆しています。

こうした格付けは高度な専門知識・技能や責任の重大性の如何を基準にして行われることが多く、その職業が
《機能的に重要であり、希少価値が高ければ高いほどシステマティックに上層部に吊り上げられるようになる傾向があります》

(中には知識を悪用してバカから搾取する構造を意図的に作りだし富を遍在化してるっていう側面もあるんだけどね)


どのようにして世の中が回ってるのかが見えてる人間は強い。普通の人間は社会人として数年過ごしていくうちに分かってくる場合が多いのだけども、見えてるやつには中高生の段階で実感値としてある。
逆に40、50代になっても分からない人間もおそらく大勢いる。
口には出してなくても、“何となくこうなんだろうな”と思えるものが、発達段階を経ていく間に“やっぱりそうだったんだな”と徐々に確信を深めていくパターンが一般的に多いのではないだろうか。
こうした差が将来的に埋めがたい程の圧倒的な差となって表れてくるのではないかと個人的に思っている。

以上を通して現代社会の大枠を俯瞰したうえで、
“それでは私たちはどのようにして自分の職業を選択していけば良いのか”ということについては、次の記事に詳細に書きます。