旧帝落ち地方公立大生のブログ

地方公立大学2年。ある現象の背後に存在するものを見抜いて、言語化するブログ。

敗北を受け入れられない人間が大成することはない

《全力を出さないうちは「可能性の中に生きる」ことができる》

この言葉はすごく実感値として分かります。

全力を尽くすということは、自分の持てる力すべてを発揮してなりふり構わず取り組むということです。

だからこそ、全力を出し切った末に敗北した場合、それは完全に自分が実力不足によって敗北したことを...自分が劣った存在であるという現実を否が応でも突き付けられることになります。

しかしながら、全力を出さなければその人は“今回は本来の自分の力じゃない、実際はもっとやれるはずだ”と自分を擁護することができる。

ちっぽけな自尊心が浅薄な希望を抱かせてくれる。

自分を守るために、時として全力を出さないことで“自分の世界内での可能性を守る”ことはできます。

《本来、俺(私)はもっとやれるはずだ》と。


ただ、これでは駄目なんです。

なぜなら、『努力でどうにかなる事』と『努力ではどうにもならない事』の線引きができないから。

結局のところ、僕がこれまでの幾多の挫折から学んだ大切なことは、努力すれば実ることと、努力しても実らないことの境界線を把握できた事でした。
自分が怠けたからできなかったのか、それとも素質がなかったからなのか。“現実”を知れたこと。


加えて、世の中には、自分の力によって解決出来る問題と出来ない問題があります。

厳しい現実、どう足掻いたってできない事は躊躇なく“見切る”覚悟が必要な場面は人生で幾度となく直面します。


僕の好きな「ニーバーの祈り」からの言葉を借りると、

“God,
give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.”

神よ、
変えることのできるものを変えるだけの勇気を、

変えることのできないものを静寂に受けいれるだけの冷静さを、

そして、それらの違いを識別する知恵をお与えください。


人間の苦しみの多くは、自分ではどうにもならない人智を超越した“何か”に依るものであることが多い。

未来への希望を捨て去るのでもなく、
どうにもならない現状に絶望し、
厭世的になるのでもなく、

変えようもない現実を冷静に受け入れる強さを持てるかどうかはとても大切なことだと感じる。


全力を出して自分の限界を知っている人間は強い。

彼らは決して理想論ではなく現実的な目標を最適な配分、方向性、量の努力によって置かれた環境下のチャンスを掴み、目の前の壁を乗り越えていくことが出来る。

《諦めなければ夢は叶う》

《人間やれば出来る》

なんて甘い言葉は、一見真実味を帯びているようで実情は弱者をターゲットにしたプロモーションである可能性の方が高い。

等身大の自分を正しく認識し、現実を知り、その延長線上に理想があるということを内心に留めておく事が何よりも大切な事だと思います。

要するに、
《限界を見据えなければ覆すことはできない》んです。

諦めを越えた先で頑張り続けていれば、きっと誰かが見てくれている。


P.S 世界のどこかにいる志半ばで敗れてしまった人に

《一度破れた夢は、嘗ての自分が願った通りの形で実現することは叶いません。

たとえ希望を取り戻したところで、それには必然的に大きな代償を伴うことになる。

失った夢はもう完全には戻らないかもしれないけれど、それでも嘗て自分が信じた生き方に忠実でいられますか》